Bluem of Youth「ロシアンルーレット」

『ロシアンルーレット』は、1998年6月20日、エピックレコードジャパンより発売されたBluem of Youthの7枚目のシングル。

CDジャケットがアニメである。

収録曲

  1. ロシアンルーレット
    作詞:別所悠二 作曲:松ヶ下宏之 編曲:森俊之
  2. Close by youe side (acoustic version)
    作詞:別所悠二 作曲・編曲:松ヶ下宏之
  3. ロシアンルーレット (Instrumental)

INFORMATION

    Bluem of Youth

    Bluem of Youth(ブルームオブユース)はボーカルの別所悠二と、ギターの松ヶ下宏之からなる日本の音楽ユニット。2人ともに広島県立広島観音高等学校卒業。

    メンバー

    別所悠二(べっしょ ゆうじ)
    ボーカル、ギター、作詞。1973年9月22日生まれ。O型。広島県広島市出身。
    ソロ活動時のアーティストネームは「別所ユージ」。映画、舞台、ミュージカル等俳優としても活躍している。
    趣味は車の運転・マラソン・料理・カメラ。
    松ヶ下宏之(まつがした ひろゆき)
    ギター、ピアノ、作曲。1973年12月13日生まれ。O型。広島県広島市出身。
    ブルーム活動休止後はHAPPY DRUG STOREや千綿ヒデノリ、広沢タダシ等のサポートメンバーとして参加しながら、自らもソロアーティストとして活動中。また、2009年中川翔子コンサートツアーのバンドマスターをつとめる。趣味は釣り。
    最近はNapsaQのメンバーとしても活躍している。

    来歴

    • 1992年に上京しユニット結成。
    • 1995年10月10日、シングル『最後の願い』でデビュー。
    • 1999年に日本テレビのバラエティ番組「雷波少年」の企画に参加し日本武道館ライブを果たす。またこの企画で生まれた曲『ラストツアー~約束の場所へ~』がヒット(オリコン初登場2位)。
    • 2002年末をもってBluem of Youthとしての活動を無期限休止。
    • 2005年10月、デビュー10周年を記念して、東京(10月4日)、広島(10月9日)、大阪(10月10日)において3日間限定復活ライブを行った。
    • 2008年12月31日 広島でのカウントダウンライブを皮切りに、Bluem of Youthとして活動再開。

    歴史

    ふたりが初めて出会ったのは広島の中学時代。当時はふたりとも悪ガキだったらしい。すでにその頃から他の仲間も含めて別々のバンド活動をはじめてい た。ふたりとも別の高校へ行きいったんは別れる。その後松ヶ下は東京の大学へ通うために上京。一方あてもなく上京した別所が何気なく松ヶ下のもとを訪ねた ことから再会、ユニットを組む運びとなる。ライブハウスなどでアマチュアバンド活動を経験後、1995年10月10日にシングル『最後の願い』でデビューする。その後、8枚のシングルと2枚のアルバムを出したが、曲がヒットせずに8枚目のシングル「声」を最後に1998年12月当時のレコード会社(現EPIC Records)との契約を打ち切られてしまう。

    ちなみにブレイク前の1997年8月25日に『HEY!HEY!HEY!』に、1999年2月21日に『MUSIC HAMMER』に出演している。後者は「声」が『MUSIC HAMMER』のリクエストランキングで1位を獲得したことを記念しての出演だった。

    1998年NHK BS-2での150分に及ぶBOØWY特集番組『BOØWY ANTHOLOGY』において「MEMORY」を演奏する(別所は学生時代サッカー部に在籍。朝練の時、部員から「凄ぇ、良いアルバムあるから、聴いてみな!」とBOØWYの5枚目のアルバム『BEAT EMOTION』を借りて聴いてみた。その後、BOØWYのファンになったらしい)。

    この頃、音楽活動の一方で地方UHF局の音楽番組の司会もこなしていたが、『電波少年』の番組参加で降板する。

    そんな折り、1999年3月、日本テレビのバラエティー番組『雷波少年』の崖っぷちバンド企画「雷波少年系ラストツアー」によって急遽モスクワへ行くことになる(雷波少年の送り込んだショッカーによって連行される形だった)。その企画内容は、ロシアの大動脈であるシベリア鉄道横断の旅だった。シベリア鉄道(モスクワ~ウラジオストック)の各駅を旅しながら(生活費や旅費はストリートライブなどで稼ぎながら)運命の一曲を作り上げ、その一曲で日本武道館ライブ(入場料は1000円)を行うというものだった。もしこのライブで観客を1万人以上集められなかった場合は、ユニットを解散し音楽以外の業界へ就職しなければならないという厳しい条件付きだった。旅の途中、二人の旅に感銘を受けた女優の室井滋がロシアに赴き二人を訪ねるという場面もあった。このおよそ半年間の旅を経て誕生した曲が「ラストツアー 〜約束の場所へ〜」である。アムール川のほとりで山篭りをしての完成だった。この曲を日本に持ち帰り、1999年10月4日、 日本武道館ライブを行った結果、1万人をはるかにしのぐ(当初は1回だけだったが入りきれなかった客のために2回行われた)2万人近くもの観客を動員する ことに成功し(番組によると実際には約3万人が来場したという。)、見事再出発を果たす。ちなみにこのライブでは、先の室井滋をはじめ、Something ELseやサンプラザ中野とパッパラー河合(ともに爆風スランプ)、伊集院光など多くの有名人のほか、当番組のもう一つの企画であった『熱狂的新巨人ファン99 vs 阪神ファン』において二人の所属する事務所『大川興業』の大川豊総裁と、熱狂的巨人ファン(顔に『ジャビット君』のお面をつけて)&松井秀喜と命名したウサギとともに駆け付けた。2ヵ月後にSony RecordsよりCD発売された『ラストツアー 〜約束の場所へ〜』は50万枚のヒットを記録する。2000年に は、この旅の間に作られた楽曲を収めたアルバム『СПАСИБО』が発売された。また、雷波少年系ラストシリーズの前挑戦者のSomething ELse同様企画内で制作された運命の1曲の候補曲『Stairway』が企画終了後改めて日本テレビの番組タイアップ付きでシングル化された。

    その後さらに数枚のシングル、アルバムをリリースするが、2002年12月28日に中野サンプラザで行われたライブで無期限の活動休止を宣言する。そして3日後の大晦日に故郷広島で行われたカウントダウンライブをもって、活動休止状態へと入る。それ以降、別所は別所ユージ名義でソロアーティストとして活躍。松ヶ下はソロアーティストとして活動するかたわら楽曲提供やサウンドプロデューサーとして活躍している。2005年10月にはデビュー10周年を記念して、東京、広島、大阪の各都市で3日間限りの復活ライブを行った。

    2005年10月3日から放送開始された『スポんちゅ』・『大スポんちゅ』(日本テレビ系)のオープニングBGM(タイトルは「スポんちゅのテーマ」・「大スポんちゅのテーマ」)は松ヶ下が作曲したものである。

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